当ブログでは、アフィリエイト広告を利用しています

【てんかんと告知】両親に病気を言われた俺の気持ち…

今回から自分が経験したことや興味や疑問に思ったことを

コラム形式で週一で書いていきます。

火曜日に公開していく予定です。

気になるひとはブックマークしてね

てんかんと両親に病気を言われた俺の気持ち…

子供

俺は、てんかんと言われたのは中学生になる前の春休み。

夕食を食べ終わって、母親が食器を洗って片づけて落ち着いた時間に、テーブルを囲んで両親と俺が座っていた。

俺は、こどもながらいや~な空気になる。と直感で思った。

そして、いつもは、おちゃらけるような父親が、神妙な顔・・・。
母親もなにもしゃべらない・・・。

たつぽん
たつぽん

いや~な雰囲気が続いた後

父親の第一声が、俺が生まれて骨髄炎を患ったこと、脳出血で右手が不自由になった経緯を話していた。そして、てんかんになったことも詳しく話していた。

俺としては、髄膜炎とか脳出血で右手が不自由と言われても、「ふ~ん」それで・・・。

ただただ聞くだけで終わってしまったんだけど。

てんかんと言われて知っていたよ!と言い返したかった★

子供

真剣な眼差しで、てんかんの病気を話していたが、知っていたよ。と言い返したかった。

4歳ころには、脳波検査や血中濃度の検査をしていたので、なんとなく気づいていた。

俺には、2歳下の兄弟と積み木やボードゲームで遊んでいた。
自分にはできないこともあっさりとこなしていた。

たつぽん
たつぽん

その頃は深く考えることはなかったが、、、。

大きくになるにつれて、だんだんと理解できる年齢になってきたから、兄弟とも違うし、

小学校でも友だちとの違いが、手に取るようにわかってきた。

俺の記憶では、小学校2年か3年で、休み時間に椅子に座っていたのに、気づいたときには教室の床に張りつくように横たわっていた。

倒れこんだ拍子に記憶が戻ったが、声もうまく出せずにいた。

てんかんの病気は、小学生のときの発作で、もう知っていたよ。言い返したかったけど、
そんな雰囲気じゃなかった。

てんかんになった理由も病気の内容もわかったけど、抗てんかん薬を飲むしかなかった!

子供

てんかんとわかったところで、抗てんかん薬を飲み続ける現実。

抗てんかん薬を飲み始めた2歳ころは、2年程度で断薬できる期待もあった。

しかし、年齢とともに大きくなり、薬の量も多くなって、発作も薬で抑えきれない・・・。

医者の提案で手術。いまは、発作となる部分の切除で、短期間で断薬もできる。

たつぽん
たつぽん

俺のころは、成功の確率が50%

発作の症状や脳の部位によっては、いま以上に悪くなることも言われた!

最悪、半身不随か言語障害(いまでは高次機能障害)がのこる可能性があると、医者に説明された。

脳出血で右手が不自由があったので、手術して失敗したら、自分では何もできない体。
極端にいえば、両親や兄弟の負担になっていたかもしれない。

そう考えると、手術をしない選択は正しかったのかも。

いまでは、薬を飲み始めて43年。

15年前に寛解したが、これから抗てんかん薬を飲み続けるだろう。

いま想うこと!てんかんと話す時は適した時期に!

時計

俺の場合、てんかんになった意識はぜんぜんない。

骨髄炎や脳出血、輸血をしないと治らない核黄疸になり、生死を彷徨ったらしいが、まったく覚えていない。

生まれてから患ったてんかんと右手の不自由。自分にはふつうのこと。

親は、てんかんと話すのは、子どもが傷つかないよういったつもりだが、
本人は、肌で感じ理解してるものです。

たつぽん
たつぽん

伝えるときってかなりの神経をとがらせ
ます

さいきんは、てんかんと言っても、種類が多すぎて混乱します。
特発性てんかんや症候性てんかん。

部分発作や複雑発作と種類が多くあります。

病気を知り、整理して話すのは、思っている以上に難しいです。

たつぽん
たつぽん

小さいころは、てんかんとひとくくりでしたので

いまは、スマホで何でも調べられ便利です。

余計な情報や断片的な情報も多くあります。何を信じたらいいか迷うでしょう。

10代のころは、ネットの情報が正しいと思い込んでしまいます。
とくに、ネガティブなことには、神経をつかい落ち込んでしまう年齢です。

かならず、病気のことを話す時期が来ますが、神経質にならずに普段通りが一番です。

子どもは親の態度に、敏感です。

たつぽん
たつぽん

俺の親のように、急に神妙な顔をされると、すぐに気づきます

どのように説明したらいいか、迷ったときは医者に相談してみてくださいね。

さいごまで読んでくれてありがとう

コメント

タイトルとURLをコピーしました