【ブログのコンセプト】てんかんでも楽しく!
さぽかふぇは
- てんかんで悩んでいる方
- 子どもがてんかんで奮闘中の親御さん
が対象です。
たつぽんって誰?なにしてる?
はじめまして。たつぽんといいます。
生まれてすぐに脳出血をして、てんかんと右半身不自由の後遺症を持ってしまいました。
小さい頃は、病気のことを知らずに育ち
5歳ころに、まわりと違いに気づき始め、小学校に入ってからは何をするにも人より3倍以上動いて、ようやく人並み。疲れて頭が変になっていたことが苦痛でした。
てんかんになって波乱万丈な人生?
ぼくは生まれて1か月で骨髄の病気入院・・・。
手術・・・。
生死をさまよい『1週間が峠です』と医者からの死の宣告された・・・。
しかし、手術成功の代償が右手の不自由とてんかんという病気。
2ヶ月の入院を経て、親の仕事で千葉から北海道上磯町【北斗市】に引っ越し。
脳出血をして左脳に傷があったため、3歳ころにてんかんと診断。
てんかんと言っても、見た目はふつう。ただ病気のせいで、成長がおそく小学校卒業時点で140㎝もなく女子より小さい体でした。
体が小さいのはしょうがないですが、「てんかん」というだけで偏見の目が強い青春時代。
後遺症の右手が不自由と、突然襲う発作がなければ楽しい学生生活を過ごせたと思います。発作は右手の部分発作から全身発作に移るタイプ。てんかんにもいろんな種類がありますが、10代から20代は丸々発作で辛い日々でした。
やっかいなのは全身発作になる際に、体が後ろに引き寄せられるように倒れていたことです
。
てんかん発作自体は、1分も経たずにおさまっていましたが、床や地面に頭から落ちるように発作をくり返していたこと。
後頭部を数えきれないほど、ぶつけ痛い思いを回避できるまで数年かかりました。
発作のストレスのせいか、いまより白髪が多かった。
大きくになるにつれ飲む量がふえ、
毎月、病院通い…。
自分のことながらしょうがない気持ちと、面倒という気持ち。早く発作が落ち着かないかな?という思いが強く、高2のときに医者に「いつ治りますか?」と、聞いた医者は、20歳には良くなる言葉を信じで高校生活を送ってしました。
ですが、発作はおさまるどころか、酷くなっていき毎日の発作を起こすようになったことです。
1回くらいの発作なら体の負担はありませんでしたが、多いときには20回も発作を起こしていたので、だるくやる気が失せてしまうほどでした。
高校卒業後
1997年は、ちょうど就職氷河期の年。
高校卒業と同時に販売の仕事をしましたが、すぐに辞め実家に。
戻ってすぐに郵便局の仕事を始め、公務員の試験までの1年間働き
不合格で辞めてしまいました。
それから仕事をガソリンスタンドやコンビニに配送するパンやジュースの仕分けなど、転々と仕事をかえ24歳のとき、超ブラック企業に8年間働き32歳で退職。
失業保険を貰いながら、38歳まで専業トレーダーでしていましたが、コロナショックでフリーランスになりwebライターをしています。
経歴
- 1979年1月22日千葉県生まれ北海道育ち【中田英寿→2歳下で同じ誕生日】
- 1か月で病気になり生死をさまよう
- 死の宣告とてんかんの疑いを宣告
- 2か月後千葉から北海道に移り住む
- 学生時代は病気以外はいたってふつう
- 高校卒業後、転々と職を変える
- 24歳のとき畜産の仕事【超ブラック】←月5万
- 32歳から38歳まで専業トレーダーで生活
- コロナショックで数百万失いフリーランスでwebライターとして活動中
- インフレのおかげで損失を回避!2024年8月1日時点(*^^)v
- 自由気ままに副業トレーダー&専業Webライターで生活中…。( ..)φメモメモ
簡単なプロフィールですが
よろしくお願いいたします。